これがわたしの生きる道

より自由の高みを目指すアラカン日記

自分とは何者なのか

直観を日常的に使って生きている皆様こんにちは、ひろみことです。

 

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ワタクシ、自分が何者なのかずっと知りたかったんです。

なぜなんでしょうね。

だって、自分は自分じゃないですか。

それなのに、自分が自分じゃないと思ってたんですよ。

 

この人はワタクシじゃないって。

 

その感覚の方が不思議ですよね。

 

だから、自分は一体どこにいるんだろうって探してきました。

 

怪しいですよね。

人格が乖離してるんじゃないかって、頭おかしんじゃないかって思いますよね。

 

どうにかして自分を説得したかったんです。

いまここでこう感じながら、こう体験しながら生きているのが自分なんだよって。

 

でも、目の前の体験や生きている内容を否定したかった。

そうじゃない、それは私じゃないって。

 

自己否定、自尊心の低さかもしれません。

だからこそ、心理学や哲学に惹かれたんでしょう。

 

 

そして、いわゆる自分探しの旅に出たんです。

 

占いもその一つ。

知りたいんですよ。客観的に自分を。

いろんな人に会って、ワタクシについて色々語ってもらって、高いレッスン料を払って傷ついて。すごくすごく遠回りしたけれど、その遠回りが必要だったと、今頃気づいています。

 

 

よくよく考えてみると、人は他人のことは物理的にも精神的にもよく見えるけど、自分のことは見えません。特に物理的に見ようとしても視界は180°、自分の後ろ姿を見ようとしたら、三面鏡を使ってみるとか、今なら自撮りで動画や写真を使うとか。

 

そうやって、他人が見ている自分を知りたいし、他人からも見えない自分を知りたい。

知りたい病に冒されていました、いや、今でもまだ知りたい。

 

 

でも結局は、自分を知るって自分自身で体験して、経験して、それぞれに対してどう思ったか、どう対処したか、そこから何を学び、どう人生に活かしているのかなんですね。

その軌跡を振り返ったときに、自分が何者なのか見えて来ると思うんですよ。

 

 

自分探しをいているうちは、理想の自分を掲げて、それに見合う言葉や称賛を誰かから掛けられることを期待しているだけなんですね。

 

本当の自分は、自分にしか分からない。

 

他人の目を通して語られる言葉は、その人にしか見えない世界を語っているだけなのだから。それはワタクシにとっての真実ではないのです。

 

 

この壮大な地球次元上昇期に、自立・自律が必要なのは、人の目を通して語られる自分ではなく、今まで生きてきた自分を、自分で認め感じ、言葉にする事で自分が何者なのか理解する必要があると言う事なのかもしれません。

 

その「何者なのか」とは、人間社会でエゴをくすぐる肩書きや学歴ではないことは確かです。

 

先ず、ワタクシたち人類が『魂の存在』であることを体感した上で、肉体を持った人間として、この地球上で何を思い行動し、何を経験し、どう生きているのか。

 

その生き様こそが自分自神を誇る魂の姿なのかもしれません。

 

 

そしてその生き方自体が、スピリチュアルと言われる霊性進化なんじゃないかと思うのです。